「……あなたが、騎士団長さんの息子さん?」 「え? ……あ、……は、はいっ!」 「ふーん。じゃあ、わたしが大きくなったころは、あなたが騎士団長なんだ」 サファイア色のドレスを着て。プラチナブロンドの髪は、銀の髪飾りで二つに結わえられてた。 今まで会った女の子の、誰よりもかわいくて、きれいだった。 それは、その子が、この国の王女さまだってことも、あったと思うけど。 「わたしは、セルシア。あなたは?」 「お、俺……。あ、……私……は、……ザルツ。ザルツ、です」 「ザルツ。 ……よろしくね、ザルツ。これからずっと、この国を守っていこうね」 「……! も、もちろんですっ!」 二人でずっと。 自分達の国を、ずっと。 荘厳な城の裏庭には、女王の趣味で、何十、何百もの花が咲き乱れている。 そのうちの一角、薄いピンク色の花が集まっているところに、一人の少年が寝転がっていた。短い、砂色の髪を散らばせて、若草色の瞳で、ぼんやり空を見上げている。特に大きくも、小さくもない体の隣には、あちこちに傷のある鞘におさめられた、一太刀の剣があった。 少年は、若草色の瞳を閉じると、大きな欠伸をした。右手が口元に動く。 一息つき、また瞳を薄く開くと、また、空を見上げ、眺めた。風が花達を揺らす音に、包まれる。 空に目をやっていると、ふと、視界が暗くなった。 それと同時に、さく、という、花達をかきわける音も。 「……え?」 「見つけた。ここにいたんだ、ザルツ」 「え? ……セ、セルシアさま!?」 少年――ザルツが、頭上から覗き込んできた影を見つけて、慌てて身を起こす。覗き込んで微笑む王女――セルシアは、間の抜けた顔をするザルツを見て、くすくすと、笑い声をたてた。サファイア色の瞳を細め、同じ色のドレスの裾を押さえる。 「となり、座ってもいい?」 「え……。……い、いいに決まってるじゃないですか」 「ありがと」 薄いピンク色の花達に、サファイア色のドレスが、よく映える。 隣に座ったセルシアに、ザルツは目を向けた。その視線に気づいたセルシアが、にこりと笑う。ザルツは顔を真っ赤にしながら、慌てて目を逸らした。 「ザルツ、今日はお稽古は?」 「あ……、今日は、休みなんです。父さ……父が、風邪ひいて。勉強の時間にはまだあるし、それで、少しここにいようかなって」 「ふぅん……。……ところでザルツ、まだそのくせ直ってないの?」 「え? くせ?」 首を傾げるザルツ。セルシアは、ちょっと声をおとして、言う。 「その、『父さん』を『父』って言ったり、あと、『俺』を『私』って直したり。 わたし、前、直さなくてもいい、って言ったのに」 「……でも、……セルシアさまは、王女さまですから」 「ザルツなら、いいよ。わたしが話しづらいんだもん」 「……う……。 ……でも、セルシアさまは、王女様ですし……」 「……」 その返事を機に、二人の間に、会話は無くなった。風の音だけが、流れている。 ちらっとセルシアを見てみると、何か考え込むような、不機嫌そうな顔をしていて。 自分に腹を立てたのかと、ザルツが心配し始めたころ、 「……ねえ、ザルツ。わたし、行きたいところがあるの」 「……え? 行きたいところ?」 セルシアが、口を開いた。 城の裏庭の終わり、塀を越えたところには、なだらかな丘が広がっている。 それを更に越えた場所には、森が広がっている。妖精族が棲んでいる、比較的深くて、大きな森だ。二人は今、そこにいた。 だが、二人がいるこの場所に、妖精がどうのこうのと言った、幻想的な雰囲気は無い。太陽が真上にあるというのに、夕暮れの後のように薄暗く、どこかから、ザルツが聞いたことのない鳥の声が、響いて聞こえた。 怯え気味のザルツとは対照的に、前を歩くセルシアは、怯えた様子をまったく見せない。むしろ、そんな雰囲気を、面白がっているように見える。 自分の身長の三倍以上はある木を視界の端に見つけながら、ザルツはおずおずと、セルシアに尋ねた。 「……セ、……セルシアさま。……あの」 「なあに? ザルツ」 特に悪びれる様子も無く、歩きながら答えるセルシア。あちこちに枝が落ちているのに、スカートの裾を引っ掛けることもなく、どんどん歩いていってしまう。 本来なら、ザルツがセルシアの前を歩くべきなのだろうが、セルシアの歩調は、驚くほど速い。何よりセルシアの、何かを決心したような雰囲気に呑まれて、ザルツは前に出ることができなかった。 「……っ、」 だが、国の王女であるセルシアに、怪我を負わせるわけにはいかない。ましてや自分は男で、騎士団に入ろうと思っているのなら、なおさらだ。人一人守れないようでは、とうてい騎士団など無理だ。そしてそれが、王女なのならば。 ザルツは息を呑むと、汗をかいている手をぎゅっと握り、声を荒げて言った。 「……セルシアさまっ!!」 自分が思っていたよりも、大きい声が出る。 セルシアが一瞬すくみ、そして勢い良く振り向いた。 「っ!! ……な、なあに、驚かさないでよ、ザルツ」 「だめです、やっぱり帰りましょう! ここは危ないって、父さ……じゃなくて父が言ってましたし!」 「帰るの?」 「そうです! セルシアさま、王女様なんですから、ケガとかしたら大変ですっ! 国王さまとか、もっと色んな人も心配します!」 若草色の瞳で、サファイア色の瞳を見つめて。ザルツとセルシアは、黙り込む。 弱い風が、辺りの葉を散らした。 遠くで聞くより大きな音が聴覚を支配し始めたころ、セルシアがそっと、言葉を紡いだ。 「……いや」 「……セルシアさま。お願いです」 「……だってわたし、外って、ほとんど出れないんだもの」 「……え……、」 少し、うるんでいるように見えるセルシアの瞳。 ザルツがとまどう。 「ケガすると危ないからって、外に出してもらえないの。……わたしは、もっと色んなところに行って、色んな子と遊びたいわ」 「……セルシアさま……」 「……だから。ねえ、だめ?」 ぴったり同じ高さの、大きな瞳が、懇願するように問いかけてくる。両手を、胸の前で、しっかり組んで。子猫のようなその視線にどきっとするが、はっと我に返り、慌てて言った。 「だっ、だめですっ! それってやっぱり、セルシアさまはケガしちゃだめだってことじゃないですか!」 「だからっ、ケガなんか怖くないもん! いいじゃない、外に出るか出ないかくらい、わたしが決めたって!」 「そんなの、俺……、……私に言われたって……」 「そーいうの、わからずやって言うんだよ! お父さまが言ってた!」 「なら、セルシアさまだって、わからずやじゃっ……」 二人が二人とも、大声を張り上げて始まった口げんか。子供の高い声がふたつ、森にこだまする。 やがて。 「……なによ、ザルツのばかっ!!」 「な、……っ!!」 セルシアが、かなり不機嫌そうな顔をしてそっぽを向いて、そこで言い合いは途切れた。 自分が『王女』に対して何を言っていたのか、というところにようやく考えが及び、ザルツは顔を、さあっと青くする。 「……セ、……セルシアさま……」 「……」 そっと声をかけてみても、セルシアはこっちを向かず、返事もしない。……本気でやばい。 ザルツはこの場をどう取り繕おうかと、必死で頭をはたらかせる。 そんな、時。 「……グ……、ル……ッ……!」 「……え……、」 低い唸り声が、森に響き渡った。同時に、枝を踏み、草を掻き分ける音。 相当近い。 「……な……、……なに……?」 セルシアも、辺りをきょろきょろと見回す。 ……何かが来る。 ザルツは、辺りを見渡し息を呑むと、背中の剣を、鞘ごと前に構えた。 「……ザルツ」 「……セルシアさま。……はなれないで、くださいね」 ガサガサと、草を掻き分ける音が、どんどん大きくなっていく。それに比例して、心臓が胸を内側から叩く音が激しくなるのが、自分でもわかった。 剣の柄を握り締める手が震え、思わず力が篭もる。 そして、次の瞬間。 二人の目に、同じものが映った。 「……!」 「……! ……や……、」 ――人喰い狼。 それも、かなり大型の。 「……人喰い……!!」 くすんだ黄色い瞳で、こちらを睨みつけている、人喰い狼。こげ茶色の毛に覆われた体が、じりじりとこちらに歩み寄る。足元の葉が、かさりと音をたてた。 人喰い狼のことは、本や、父親の話で知っていた。だが、本物を見たのは、これが初めてだった。人喰い。つまりそれは、自分達を喰らうであろう、ということ。 ザルツとセルシアの背筋は、凍ったように冷たい。 「……っ……」 「……ザルツ……、」 剣を向けても、人喰い狼は動じない。ザルツとセルシアとの間隔を、確実に詰めてくる。 やらなければ、やられる。 ――ならば、やるしかない。 ザルツが右足に力を入れ、その場から飛び出そうとした、 ――瞬間。 「っ!」 「……! きゃっ……!!」 人喰い狼が、その場からいなくなった――否、高く飛躍したのだ。 頭上に迫ってくる、影。ザルツとセルシアが、目を大きく開いて、影の主を見た。開いた口の間から、鋭い牙が見える。どれくらいかの人間を喰らった、白い牙。 セルシアが、耳を押さえて、しゃがみこんだ。目をかたく閉じる。それを見て、ザルツは、口の端を結んだ。 ぎっ、と、人喰い狼を、強く睨む。 何かを決心するように、ザルツは剣の柄を握り返した。 その――時。 「……よっ、と!」 「!」 ザルツと人喰い狼の間に、何か、影が入り込んだ。それが、一人のひとだと気づくには、少し時間がかかった。 それと同時に、何か鈍い音と、声がする。ザルツより少し高い、少年の声。 軽やかな足音が耳に届くのと、人喰い狼がどう、と横向きに倒れたのは、一瞬後、ほぼ同時だった。 「……ふう……、」 少年の声。 ザルツの後ろでしゃがみこんでいたセルシアが、恐る恐る目を開いた。 さっきまで牙を剥いていた、人喰い狼はいなくて。 代わりに、誰かが、立っている。 ザルツより、ほんの少しだけ高い背丈。だけど、色白の身体は頼り無い。宝石のような薄碧の、長い髪の間からは、細くとがった耳が突き出ている。大きな瞳は、水をそのまま色にしたような、薄い、青。 「……エルフ……?」 「ん?」 森に棲む妖精族――エルフだ。 しかも、子供。 「……あ、もう大丈夫だよ? しばらく、気絶してるから」 二人のまっすぐな視線を受け取り、エルフの少年がこっちを向いた。のんびりと微笑み、言う。春の花のような穏やかさに、真昼の月のような薄い色素。絵本や童話でエルフの存在自体は知っていたが、実物を見るのは、ザルツもセルシアも、初めてだった。 綺麗な容姿と、よく通るきれいな声。意識せずとも、惹かれる。 何も言わず、ただじっと見ているだけの二人を怪訝に思ったのか、 エルフの少年が、首をかしげて尋ねた。 「……僕の顔に何かついてる?」 「……え……、……あ、いや……。」 手に握り締めた剣を背中にやって、ザルツはあいまいに返事をした。その後、セルシアに手を貸して、ゆっくりと引き起こす。ドレスについた葉や土を、軽くぱんぱんと叩き落した後で、セルシアは、エルフの少年に、丁寧に頭を下げた。 「助けてくれて、ありがとう」 「え? ……ああ、いいっていいって。本当なら、助けちゃいけないんだけどね」 「……え……、」 何でもないように言った、エルフの少年。 セルシアは、顔を上げる。 「だって、あの狼は、自分が生きるために人間を食べるんだよ。なら、邪魔なんかしちゃだめなんだよね。本当なら」 「……」 「……生きるために殺すなら、……それは仕方ないんだよ。たぶん、人間も、僕らも」 「……」 遠くを見て話すエルフの少年は、二人を見て、にこりと笑う。 二人が、難しい表情で自分を見ているのに気づくと、エルフの少年は、ぱっと表情を変えて、慌てて手を振った。 「……っと、ごめんね、何かいやな話して。 ……えっと、きみたち、森の外の人だよね。人間さん」 「うん、そうだよ。はじめて?」 「うん。……きみたちも、僕らエルフははじめてだよね?」 「ああ……、……はじめて見た」 「……だろうね。エルフは、この国には、この森にしか棲んでいないから」 「え? ……そう、なの?」 ザルツとセルシアが、不思議そうに尋ねる。すると、エルフの少年は、少しだけ悲しそうに笑った。 薄碧の髪の上を、かすかな木漏れ日が流れる。 「僕が生まれるずーっと前に、エルフの血は寿命を伸ばす、っていう、噂があったんだって。……そんなことないけど」 「……」 「それでね、いろいろ、狩られちゃったりしたんだよ。 だからもう、この森に何人かしか……、……残ってない。僕は、そのうちの一人」 悲しそうに微笑んだまま、よく通る綺麗な声で呟く。 それを、何も言えずに聞いていると、――遠くの方で、草を掻き分ける音がした。明らかに、人為的な音だ。 エルフの少年は、音のした方を覗くと、にこりと微笑み、言った。 「……だから、ここは出た方がいいよ」 くるり、と背を向けて。顔だけこっちに向けたまま。 「もし、ハンターなんかに捕まったら、売られちゃうかもしれないから。きみの着てる服、けっこう、お金持ちそうな気がするし」 「……」 「だからね、また、運が良ければ、会おうね」 そう言うやいなや、エルフの少年は顔をふい、と逸らし、木と木の向こうに消えていった。 声をかける間は、無かった。 ザルツとセルシアが、その場に立ち尽くす。 エルフの少年が消えた方を、ずっと見つめ、ふと、ザルツの方が先に我に返った。 「……セルシアさま、……さっきの……エルフも、ああ言ってましたし……。 ……帰りませんか?」 「……」 そっと顔を覗き込んでみると、セルシアは伏せがちな目で、何か考えているようだった。まだわかってくれないんだろうかと、ザルツは少し不満そうな顔をする。 まわりで、木々が、ざわざわと揺れる。木々の間を、風が抜けていく。森の中、という場所にはどうにも不似合いなサファイア色のドレスが、はためいて。 やがて、セルシアは顔を上げた。申し訳なさそうに、笑う。 「……うん。ごめんなさい。……わがまま、言い過ぎたよね」 「……セルシアさま」 「帰ろう。帰る道、わかる?」 「あ……、はい。向こうの方が明るいので、あっちだと思います」 「そっか。……じゃあ、行こ」 「……はい」 お互い、顔を見合わせる。さっきは言い過ぎてごめんね、と、小さく謝った。 明るい方を目指して、ゆっくりと歩き出す。 硬い靴の底が、草と葉を掻き分けた。かさりと、音がたつ。音を聞いて、危ないから、とザルツがセルシアの左手を握った。そのまま、前を向いて歩く。 「……ねえ、ザルツ」 「なんですか?」 手をつないだまま、顔を見合わせて、不思議そうな顔をするザルツ。 「さっきの子。……また、会えるかな」 「え……。……それは、むずかしい、……と思うんですけど……」 「どうして?」 今度は、セルシアが、不思議そうな顔をした。 「だって、この森は、入っちゃだめだって言ってたし、 さっきのエルフは、この森から外には出ないみたいだったし」 「……そっか……。やっぱり、会えないかなあ」 「……明日、とかは無理だと思います。やっぱり」 「……そうか……。せっかく、助けてもらったのに。お礼がしたかったな」 ぴったり同じ視線の高さ。さっきから耳には、森のざわめきしか届かない。 セルシアが、ちょっとだけ不満そうな、笑顔で言う。 「……名前……。……きいておけばよかった」 「……そっか……。……そうで――」 ザルツが、返事を言いかけた、 途中で。 「……うわっ……!!」 ドン、と、鈍い音と。ザルツより少し高い、少年の声がした。 ――さっき聞いた、よく通る、きれいな声が。 「!」 「……ザルツ、今の……!」 二人で、同時に顔を見合わせた。声は、そんなに遠くなかった。 「……っ、! はな、……しっ……!」 また、聞こえる。苦しそうな声。 気がつけば、頷き合い、そこから走り出していた。木の枝に、ドレスの裾を引っ掛けながらも、できるだけ速く走る。セルシアから離れないように、ザルツは少しゆっくりめに走った。本当は、全速力で走りたかった。 どうして、こんなに必死になっているんだろう。 会ってから、半日も経って――いないのに。 声を聞いた場所からは、かなり離れてしまった。 遠くなかったと思ったのは、声が通ったからなのか、木霊したからなのか。そんなことを考える余裕は無かった。 「……、ここ、……この辺りだ……!」 「! ザルツ、あれ……!」 辺りを見回していたセルシアが、一点を指差し、ザルツに縋る。ザルツは、瞬間的にそっちを向いた。 「くっ……、……はなせ、はなせってば!」 「……!」 その目に映ったものは、四つの人影だった。そのうち三つは人間、もう一つは、 先程の――エルフの少年。 三人の人間は、それぞれ異なった容姿、だが似たような黒い服を着ている。……盗賊団か、何かの組織。一番若そうな長い赤髪の青年が、エルフの少年の手を掴み、喉元にナイフを突きつけていた。柄の先端に、紅い宝石のついたナイフだった。 エルフの少年の腕からは、真赤な血が流れていた。セルシアが、怯える。 セルシアを後ろに庇いながら、ザルツはその光景をきつく睨みつけた。 背中の剣を、鞘ごと持つ。 ごくりと息を呑み、震える喉の奥から声を張り上げた。 「……やめろ!!」 「!? だ、誰だ!? ……って……、」 ザルツの声を聞いて、赤髪の青年が振り返る。一瞬、かなり慌てたように見えたが、ザルツを視界に入れると、ほんの少しの間を置いて、溜息をついた。 「……なんだよ。ガキじゃねーか」 「……そいつを、……はなせ!」 「……? ……何言ってんだよ、ガキのクセして、何強がってんだよ」 「……はなせって、言ってるだろ!」 身体の震えを隠せないまま、ザルツが叫ぶ。その様子を見ながら、三人の人間はくすくすと笑った。エルフの少年は、手首を捕まれたまま、鞘におさめられたままの剣を構えるザルツを、かなり驚いた顔で見つめていた。 三人の人間はザルツを見下ろしながら、馬鹿にしたように笑っている。 その間、ザルツは赤髪の青年との合間を、二歩程詰めた。 「何だ、森に閉じこもってるエルフに、人間のオトモダチがいたのかよ? だったら悪いな。コイツは、俺達が随分前から狙っ――」 赤髪の青年が言い終わる前に、ザルツは跳び出していた。剣で赤髪の青年の腹を、突き刺すように強打する。本来ならば突き刺さっているはずだが、剣は鞘におさめられたままなので、青年が声を出しながら、息を吐き出すだけで終わった。 その隙にエルフの少年が、地面に着地する。腕の傷に、唇を寄せた。 「……な……! ……っの、調子に乗りやがっ」 少し離れた位置にいた黒髪の男が、上から振りかぶってきたのと同時に、ザルツは剣を、左下から右上へ素早く振り上げる。鞘におさめられた刃が男の顎に命中し、男は仰向けに倒れた。地面に頭を打ったらしく、完全にのびている。 それを視界の端から追い出すと、今度は、やはり離れた位置にいる女性に目を向けた。気づいた黒髪の女性は、腰元から短剣を三本、取り出す。走りながら見ると、どうやら投げるための短剣のようだった。 その予想は当たり、女性が腕を勢い良く降る。飛んできた短剣を、ぎりぎりのタイミングでしゃがんで避けると、 「……! きゃっ……!?」 その場から高く跳躍し、両腕を頭の後ろまで振り上げた。女性の後頭部を斬るように殴る。 膝を折り曲げ、左手をついてザルツが着地したのと、女性が地面にうつぶせに倒れたのが、ほぼ同時だった。 途端、静かになるその場。 ザルツが立ち上がり、地面に倒れた三人の人間を、溜息をつきながら見渡した。 「……ふう……。」 「……ザルツ、すごい……!」 遠くで見ていたセルシアが、言う。 ザルツはそれに、少しあいまいに笑いながら答えると、エルフの少年に歩み寄った。 「……えーと……。……あの、大丈夫?」 「……あ、うん。……平気。ありがとう、助かった……」 エルフの少年は、血を拭いながら立ち上がる。近くで見ると、エルフの少年の方が、ザルツより少しだけ背が高かった。その差は、特に見上げることを必要としないくらいの、本当に微妙な差。 ザルツはそれをほんの少し気にすると、剣を背中に戻した。そして、こっちに歩み寄ってきたセルシアの方を向く。 「セルシアさま、大丈夫ですか?」 「うん、わたしは大丈夫。……でも、本当にすごいね、ザルツ!」 「うん。僕もびっくりした。……すごいねえ、剣士さん」 驚きの入り混じった笑顔で、二人はザルツを見ている。 大したことないよ、とザルツは言って、倒れている赤髪の青年へと歩み寄った。地面に突っ伏して倒れている、青年を見下ろす。 「……さて、と。……どうしよう、放っておくわけにも……」 「でも、こんな大きな人たち、連れて行けないよ? ザルツ」 「ええ……、……それは、わかってるんですけど……」 困った時の彼の癖だ。砂色の髪に手を梳き入れ、はぁ、と溜息をつく。 何とか担いでいけないものかと、赤髪の青年に、そっと右手を伸ばした。 その、瞬間。 「……っ!」 ザルツは、目を大きく見開いた。ざっ、と鋭い音がしたのと同時に、後ろに跳んで下がる。その光景を見ていたセルシアが、思わず、といった様子で一歩前に出たが、ザルツがそれを視線で制した。 「ザ、ザルツ……? ……!」 「……フン、……やるな、ガキのくせに」 セルシアと、エルフの少年の視線の先。 服が切り裂かれた右肩から血を流すザルツと、柄の先端に赤い宝石のついた短剣を持った、赤髪の青年がいた。 獣のような目つきで、ザルツを、そして、エルフの少年を睨んでいる。 「……とんだ邪魔が入ったもんだぜ、ったく」 「……つっ……、……やめろよ、何で、こいつを捕まえるんだ!」 右肩から血が流れているのも無視して、ザルツが鞘におさめたままの剣を構える。赤髪の青年は、短剣についた血を左手の指で拭いながら、言った。 「何でって、そいつの血を、売るために決まってるだろ」 「……そんなの、だめだ! 狼は、生きるために生き物を殺すって、……人も同じだって、……言ってた……」 「……剣士、さん……」 「……そんなの……。……そんなの、ただの無意味な殺しじゃないか!!」 剣の柄を両手で握り締め、できるだけ強い口調で言う。それでもやはり、手は震えていた。 赤髪の青年はそれを見ながら、鼻で笑う。 「……誰が言ったか知らねーが……。……はっ、とんだお笑い種だな」 その瞳は、黒かった。闇のような、暗い色。 「俺達は、ハンターだ。こいつを捕まえて、物好きなやつに売り払って、報酬を貰って、生計を立てる。 俺達だって、生きるために殺すんだぜ?」 「……なっ……、」 「そいつは、悪いことじゃねーんじゃねーのかよ?」 「……っ……。……そ、……れは……」 「……ほら、反論できないだろ。だからガキだって言うんだ。 ……まどろっこしい……、」 赤髪の青年は、苛立ったように吐き捨てる。 右手で短剣の柄を握り、左手を刃に添える。 そして、真っ直ぐにザルツを睨んだ。 「いいことを教えてやろうか。これは、ただの宝石じゃねーんだぜ」 そう言うと、赤髪の青年は、口の中で何かを呟き始めた。 まわりが、ざあ、とざわめく。それは、妙に、静かな――。 柄の赤い宝石の奥が、かすかに光り出すのを、ザルツもセルシアも、エルフの少年も、ずっと見ていた。 まるでそこから動けないように。 そして――……。 br> 「……っ……!!」 ザルツが、一瞬、竦んだ。 恐怖と驚きの入り混じった表情で。 「……しまった……!」 「え? ……なに、何なの、ザルツ。しまったって、何が……」 「……っ、いいから、ここから逃げましょう、セルシアさま! お前も、早く!」 「え!? で、でもっ……」 「いいから! ここにいちゃ……、……ここにいちゃ、だめだ!」 ザルツはセルシアの腕をぐっと掴んで、強引に走り出した。 困惑した表情で、エルフの少年がそれを追う。 少し前に、ザルツは勉強した。 剣を武器として用いない相手との、戦闘の仕方を。 「(……しまった……、まさか、あんなもの持ってるなんて……!)」 題材となったのは、この国には珍しい者達。 薄い色の金属に、綺麗な色の宝石をつけたものを武器とする。 それは、斬れないし突き刺せないけど、使い方によっては、剣をも凌ぐ威力を持つもの。 それは、呪文を唱え――精霊の力を借り、ものを生み出す、神秘の力。 「(……あいつが……、魔法使(まほうし)だったなんて……!!)」 赤は、炎の色だ。 人を、全てを焼き尽くす、炎の力は、 逃げ出すには、充分すぎる理由だった。 |