君の隣にいたいから。

― In The 7 Old ―
前編

「……あなたが、騎士団長さんの息子さん?」
「え? ……あ、……は、はいっ!」
「ふーん。じゃあ、わたしが大きくなったころは、あなたが騎士団長なんだ」

 サファイア色のドレスを着て。プラチナブロンドの髪は、銀の髪飾りで二つに結わえられてた。
 今まで会った女の子の、誰よりもかわいくて、きれいだった。
 それは、その子が、この国の王女さまだってことも、あったと思うけど。

「わたしは、セルシア。あなたは?」
「お、俺……。あ、……私……は、……ザルツ。ザルツ、です」
「ザルツ。
 ……よろしくね、ザルツ。これからずっと、この国を守っていこうね」
「……! も、もちろんですっ!」

 二人でずっと。
 自分達の国を、ずっと。


一.幼年期


 荘厳な城の裏庭には、女王の趣味で、何十、何百もの花が咲き乱れている。
 そのうちの一角、薄いピンク色の花が集まっているところに、一人の少年が寝転がっていた。短い、砂色の髪を散らばせて、若草色の瞳で、ぼんやり空を見上げている。特に大きくも、小さくもない体の隣には、あちこちに傷のある鞘におさめられた、一太刀の剣があった。
 少年は、若草色の瞳を閉じると、大きな欠伸をした。右手が口元に動く。
 一息つき、また瞳を薄く開くと、また、空を見上げ、眺めた。風が花達を揺らす音に、包まれる。

 空に目をやっていると、ふと、視界が暗くなった。
 それと同時に、さく、という、花達をかきわける音も。

「……え?」
「見つけた。ここにいたんだ、ザルツ」
「え? ……セ、セルシアさま!?」

 少年――ザルツが、頭上から覗き込んできた影を見つけて、慌てて身を起こす。覗き込んで微笑む王女――セルシアは、間の抜けた顔をするザルツを見て、くすくすと、笑い声をたてた。サファイア色の瞳を細め、同じ色のドレスの裾を押さえる。

「となり、座ってもいい?」
「え……。……い、いいに決まってるじゃないですか」
「ありがと」

 薄いピンク色の花達に、サファイア色のドレスが、よく映える。
 隣に座ったセルシアに、ザルツは目を向けた。その視線に気づいたセルシアが、にこりと笑う。ザルツは顔を真っ赤にしながら、慌てて目を逸らした。

「ザルツ、今日はお稽古は?」
「あ……、今日は、休みなんです。父さ……父が、風邪ひいて。勉強の時間にはまだあるし、それで、少しここにいようかなって」
「ふぅん……。……ところでザルツ、まだそのくせ直ってないの?」
「え? くせ?」

 首を傾げるザルツ。セルシアは、ちょっと声をおとして、言う。

「その、『父さん』を『父』って言ったり、あと、『俺』を『私』って直したり。
 わたし、前、直さなくてもいい、って言ったのに」
「……でも、……セルシアさまは、王女さまですから」
「ザルツなら、いいよ。わたしが話しづらいんだもん」
「……う……。
 ……でも、セルシアさまは、王女様ですし……」
「……」

 その返事を機に、二人の間に、会話は無くなった。風の音だけが、流れている。
 ちらっとセルシアを見てみると、何か考え込むような、不機嫌そうな顔をしていて。
 自分に腹を立てたのかと、ザルツが心配し始めたころ、

「……ねえ、ザルツ。わたし、行きたいところがあるの」
「……え? 行きたいところ?」
 セルシアが、口を開いた。

* * *

 城の裏庭の終わり、塀を越えたところには、なだらかな丘が広がっている。
 それを更に越えた場所には、森が広がっている。妖精族が棲んでいる、比較的深くて、大きな森だ。二人は今、そこにいた。
 だが、二人がいるこの場所に、妖精がどうのこうのと言った、幻想的な雰囲気は無い。太陽が真上にあるというのに、夕暮れの後のように薄暗く、どこかから、ザルツが聞いたことのない鳥の声が、響いて聞こえた。
 怯え気味のザルツとは対照的に、前を歩くセルシアは、怯えた様子をまったく見せない。むしろ、そんな雰囲気を、面白がっているように見える。

 自分の身長の三倍以上はある木を視界の端に見つけながら、ザルツはおずおずと、セルシアに尋ねた。

「……セ、……セルシアさま。……あの」
「なあに? ザルツ」

 特に悪びれる様子も無く、歩きながら答えるセルシア。あちこちに枝が落ちているのに、スカートの裾を引っ掛けることもなく、どんどん歩いていってしまう。
 本来なら、ザルツがセルシアの前を歩くべきなのだろうが、セルシアの歩調は、驚くほど速い。何よりセルシアの、何かを決心したような雰囲気に呑まれて、ザルツは前に出ることができなかった。

「……っ、」

 だが、国の王女であるセルシアに、怪我を負わせるわけにはいかない。ましてや自分は男で、騎士団に入ろうと思っているのなら、なおさらだ。人一人守れないようでは、とうてい騎士団など無理だ。そしてそれが、王女なのならば。
 ザルツは息を呑むと、汗をかいている手をぎゅっと握り、声を荒げて言った。

「……セルシアさまっ!!」

 自分が思っていたよりも、大きい声が出る。
 セルシアが一瞬すくみ、そして勢い良く振り向いた。

「っ!!
 ……な、なあに、驚かさないでよ、ザルツ」
「だめです、やっぱり帰りましょう! ここは危ないって、父さ……じゃなくて父が言ってましたし!」
「帰るの?」
「そうです! セルシアさま、王女様なんですから、ケガとかしたら大変ですっ! 国王さまとか、もっと色んな人も心配します!」

 若草色の瞳で、サファイア色の瞳を見つめて。ザルツとセルシアは、黙り込む。
 弱い風が、辺りの葉を散らした。
 遠くで聞くより大きな音が聴覚を支配し始めたころ、セルシアがそっと、言葉を紡いだ。

「……いや」
「……セルシアさま。お願いです」
「……だってわたし、外って、ほとんど出れないんだもの」
「……え……、」

 少し、うるんでいるように見えるセルシアの瞳。
 ザルツがとまどう。

「ケガすると危ないからって、外に出してもらえないの。……わたしは、もっと色んなところに行って、色んな子と遊びたいわ」
「……セルシアさま……」
「……だから。ねえ、だめ?」

 ぴったり同じ高さの、大きな瞳が、懇願するように問いかけてくる。両手を、胸の前で、しっかり組んで。子猫のようなその視線にどきっとするが、はっと我に返り、慌てて言った。

「だっ、だめですっ! それってやっぱり、セルシアさまはケガしちゃだめだってことじゃないですか!」
「だからっ、ケガなんか怖くないもん! いいじゃない、外に出るか出ないかくらい、わたしが決めたって!」
「そんなの、俺……、……私に言われたって……」
「そーいうの、わからずやって言うんだよ! お父さまが言ってた!」
「なら、セルシアさまだって、わからずやじゃっ……」

 二人が二人とも、大声を張り上げて始まった口げんか。子供の高い声がふたつ、森にこだまする。
 やがて。

「……なによ、ザルツのばかっ!!」
「な、……っ!!」

 セルシアが、かなり不機嫌そうな顔をしてそっぽを向いて、そこで言い合いは途切れた。
 自分が『王女』に対して何を言っていたのか、というところにようやく考えが及び、ザルツは顔を、さあっと青くする。

「……セ、……セルシアさま……」
「……」

 そっと声をかけてみても、セルシアはこっちを向かず、返事もしない。……本気でやばい。
 ザルツはこの場をどう取り繕おうかと、必死で頭をはたらかせる。


 そんな、時。


「……グ……、ル……ッ……!」

「……え……、」

 低い唸り声が、森に響き渡った。同時に、枝を踏み、草を掻き分ける音。
 相当近い。

「……な……、……なに……?」

 セルシアも、辺りをきょろきょろと見回す。
 ……何かが来る。
 ザルツは、辺りを見渡し息を呑むと、背中の剣を、鞘ごと前に構えた。

「……ザルツ」
「……セルシアさま。……はなれないで、くださいね」

 ガサガサと、草を掻き分ける音が、どんどん大きくなっていく。それに比例して、心臓が胸を内側から叩く音が激しくなるのが、自分でもわかった。
 剣の柄を握り締める手が震え、思わず力が篭もる。

 そして、次の瞬間。
 二人の目に、同じものが映った。

「……!」
「……! ……や……、」


 ――人喰い狼。
 それも、かなり大型の。


「……人喰い……!!」

 くすんだ黄色い瞳で、こちらを睨みつけている、人喰い狼。こげ茶色の毛に覆われた体が、じりじりとこちらに歩み寄る。足元の葉が、かさりと音をたてた。
 人喰い狼のことは、本や、父親の話で知っていた。だが、本物を見たのは、これが初めてだった。人喰い。つまりそれは、自分達を喰らうであろう、ということ。
 ザルツとセルシアの背筋は、凍ったように冷たい。

「……っ……」
「……ザルツ……、」

 剣を向けても、人喰い狼は動じない。ザルツとセルシアとの間隔を、確実に詰めてくる。
 やらなければ、やられる。
 ――ならば、やるしかない。

 ザルツが右足に力を入れ、その場から飛び出そうとした、

 ――瞬間。

「っ!」
「……! きゃっ……!!」

 人喰い狼が、その場からいなくなった――否、高く飛躍したのだ。
 頭上に迫ってくる、影。ザルツとセルシアが、目を大きく開いて、影の主を見た。開いた口の間から、鋭い牙が見える。どれくらいかの人間を喰らった、白い牙。
 セルシアが、耳を押さえて、しゃがみこんだ。目をかたく閉じる。それを見て、ザルツは、口の端を結んだ。

 ぎっ、と、人喰い狼を、強く睨む。
 何かを決心するように、ザルツは剣の柄を握り返した。

 その――時。

「……よっ、と!」
「!」

 ザルツと人喰い狼の間に、何か、影が入り込んだ。それが、一人のひとだと気づくには、少し時間がかかった。
 それと同時に、何か鈍い音と、声がする。ザルツより少し高い、少年の声。
 軽やかな足音が耳に届くのと、人喰い狼がどう、と横向きに倒れたのは、一瞬後、ほぼ同時だった。

「……ふう……、」

 少年の声。
 ザルツの後ろでしゃがみこんでいたセルシアが、恐る恐る目を開いた。

 さっきまで牙を剥いていた、人喰い狼はいなくて。
 代わりに、誰かが、立っている。
 ザルツより、ほんの少しだけ高い背丈。だけど、色白の身体は頼り無い。宝石のような薄碧の、長い髪の間からは、細くとがった耳が突き出ている。大きな瞳は、水をそのまま色にしたような、薄い、青。

「……エルフ……?」
「ん?」

 森に棲む妖精族――エルフだ。
 しかも、子供。

「……あ、もう大丈夫だよ? しばらく、気絶してるから」

 二人のまっすぐな視線を受け取り、エルフの少年がこっちを向いた。のんびりと微笑み、言う。春の花のような穏やかさに、真昼の月のような薄い色素。絵本や童話でエルフの存在自体は知っていたが、実物を見るのは、ザルツもセルシアも、初めてだった。
 綺麗な容姿と、よく通るきれいな声。意識せずとも、惹かれる。

 何も言わず、ただじっと見ているだけの二人を怪訝に思ったのか、
 エルフの少年が、首をかしげて尋ねた。

「……僕の顔に何かついてる?」
「……え……、……あ、いや……。」

 手に握り締めた剣を背中にやって、ザルツはあいまいに返事をした。その後、セルシアに手を貸して、ゆっくりと引き起こす。ドレスについた葉や土を、軽くぱんぱんと叩き落した後で、セルシアは、エルフの少年に、丁寧に頭を下げた。

「助けてくれて、ありがとう」
「え? ……ああ、いいっていいって。本当なら、助けちゃいけないんだけどね」
「……え……、」

 何でもないように言った、エルフの少年。
 セルシアは、顔を上げる。

「だって、あの狼は、自分が生きるために人間を食べるんだよ。なら、邪魔なんかしちゃだめなんだよね。本当なら」
「……」
「……生きるために殺すなら、……それは仕方ないんだよ。たぶん、人間も、僕らも」
「……」

 遠くを見て話すエルフの少年は、二人を見て、にこりと笑う。
 二人が、難しい表情で自分を見ているのに気づくと、エルフの少年は、ぱっと表情を変えて、慌てて手を振った。

「……っと、ごめんね、何かいやな話して。
 ……えっと、きみたち、森の外の人だよね。人間さん」
「うん、そうだよ。はじめて?」
「うん。……きみたちも、僕らエルフははじめてだよね?」
「ああ……、……はじめて見た」
「……だろうね。エルフは、この国には、この森にしか棲んでいないから」
「え? ……そう、なの?」

 ザルツとセルシアが、不思議そうに尋ねる。すると、エルフの少年は、少しだけ悲しそうに笑った。
 薄碧の髪の上を、かすかな木漏れ日が流れる。

「僕が生まれるずーっと前に、エルフの血は寿命を伸ばす、っていう、噂があったんだって。……そんなことないけど」
「……」
「それでね、いろいろ、狩られちゃったりしたんだよ。
 だからもう、この森に何人かしか……、……残ってない。僕は、そのうちの一人」

 悲しそうに微笑んだまま、よく通る綺麗な声で呟く。
 それを、何も言えずに聞いていると、――遠くの方で、草を掻き分ける音がした。明らかに、人為的な音だ。
 エルフの少年は、音のした方を覗くと、にこりと微笑み、言った。

「……だから、ここは出た方がいいよ」

 くるり、と背を向けて。顔だけこっちに向けたまま。

「もし、ハンターなんかに捕まったら、売られちゃうかもしれないから。きみの着てる服、けっこう、お金持ちそうな気がするし」
「……」
「だからね、また、運が良ければ、会おうね」

 そう言うやいなや、エルフの少年は顔をふい、と逸らし、木と木の向こうに消えていった。
 声をかける間は、無かった。

 ザルツとセルシアが、その場に立ち尽くす。
 エルフの少年が消えた方を、ずっと見つめ、ふと、ザルツの方が先に我に返った。

「……セルシアさま、……さっきの……エルフも、ああ言ってましたし……。
 ……帰りませんか?」
「……」

 そっと顔を覗き込んでみると、セルシアは伏せがちな目で、何か考えているようだった。まだわかってくれないんだろうかと、ザルツは少し不満そうな顔をする。
 まわりで、木々が、ざわざわと揺れる。木々の間を、風が抜けていく。森の中、という場所にはどうにも不似合いなサファイア色のドレスが、はためいて。
 やがて、セルシアは顔を上げた。申し訳なさそうに、笑う。

「……うん。ごめんなさい。……わがまま、言い過ぎたよね」
「……セルシアさま」
「帰ろう。帰る道、わかる?」
「あ……、はい。向こうの方が明るいので、あっちだと思います」
「そっか。……じゃあ、行こ」
「……はい」

 お互い、顔を見合わせる。さっきは言い過ぎてごめんね、と、小さく謝った。
 明るい方を目指して、ゆっくりと歩き出す。
 硬い靴の底が、草と葉を掻き分けた。かさりと、音がたつ。音を聞いて、危ないから、とザルツがセルシアの左手を握った。そのまま、前を向いて歩く。

「……ねえ、ザルツ」
「なんですか?」

 手をつないだまま、顔を見合わせて、不思議そうな顔をするザルツ。

「さっきの子。……また、会えるかな」
「え……。……それは、むずかしい、……と思うんですけど……」
「どうして?」

 今度は、セルシアが、不思議そうな顔をした。

「だって、この森は、入っちゃだめだって言ってたし、
 さっきのエルフは、この森から外には出ないみたいだったし」
「……そっか……。やっぱり、会えないかなあ」
「……明日、とかは無理だと思います。やっぱり」
「……そうか……。せっかく、助けてもらったのに。お礼がしたかったな」

 ぴったり同じ視線の高さ。さっきから耳には、森のざわめきしか届かない。
 セルシアが、ちょっとだけ不満そうな、笑顔で言う。

「……名前……。……きいておけばよかった」
「……そっか……。……そうで――」

 ザルツが、返事を言いかけた、
 途中で。


「……うわっ……!!」


 ドン、と、鈍い音と。ザルツより少し高い、少年の声がした。


 ――さっき聞いた、よく通る、きれいな声が。


「!」
「……ザルツ、今の……!」

 二人で、同時に顔を見合わせた。声は、そんなに遠くなかった。

「……っ、! はな、……しっ……!」

 また、聞こえる。苦しそうな声。

 気がつけば、頷き合い、そこから走り出していた。木の枝に、ドレスの裾を引っ掛けながらも、できるだけ速く走る。セルシアから離れないように、ザルツは少しゆっくりめに走った。本当は、全速力で走りたかった。

 どうして、こんなに必死になっているんだろう。
 会ってから、半日も経って――いないのに。

* * *

 声を聞いた場所からは、かなり離れてしまった。
 遠くなかったと思ったのは、声が通ったからなのか、木霊したからなのか。そんなことを考える余裕は無かった。

「……、ここ、……この辺りだ……!」
「! ザルツ、あれ……!」

 辺りを見回していたセルシアが、一点を指差し、ザルツに縋る。ザルツは、瞬間的にそっちを向いた。

「くっ……、……はなせ、はなせってば!」
「……!」

 その目に映ったものは、四つの人影だった。そのうち三つは人間、もう一つは、
 先程の――エルフの少年。

 三人の人間は、それぞれ異なった容姿、だが似たような黒い服を着ている。……盗賊団か、何かの組織。一番若そうな長い赤髪の青年が、エルフの少年の手を掴み、喉元にナイフを突きつけていた。柄の先端に、紅い宝石のついたナイフだった。
 エルフの少年の腕からは、真赤な血が流れていた。セルシアが、怯える。

 セルシアを後ろに庇いながら、ザルツはその光景をきつく睨みつけた。
 背中の剣を、鞘ごと持つ。
 ごくりと息を呑み、震える喉の奥から声を張り上げた。

「……やめろ!!」
「!?
 だ、誰だ!? ……って……、」

 ザルツの声を聞いて、赤髪の青年が振り返る。一瞬、かなり慌てたように見えたが、ザルツを視界に入れると、ほんの少しの間を置いて、溜息をついた。

「……なんだよ。ガキじゃねーか」
「……そいつを、……はなせ!」
「……? ……何言ってんだよ、ガキのクセして、何強がってんだよ」
「……はなせって、言ってるだろ!」

 身体の震えを隠せないまま、ザルツが叫ぶ。その様子を見ながら、三人の人間はくすくすと笑った。エルフの少年は、手首を捕まれたまま、鞘におさめられたままの剣を構えるザルツを、かなり驚いた顔で見つめていた。
 三人の人間はザルツを見下ろしながら、馬鹿にしたように笑っている。
 その間、ザルツは赤髪の青年との合間を、二歩程詰めた。

「何だ、森に閉じこもってるエルフに、人間のオトモダチがいたのかよ?
 だったら悪いな。コイツは、俺達が随分前から狙っ――」

 赤髪の青年が言い終わる前に、ザルツは跳び出していた。剣で赤髪の青年の腹を、突き刺すように強打する。本来ならば突き刺さっているはずだが、剣は鞘におさめられたままなので、青年が声を出しながら、息を吐き出すだけで終わった。
 その隙にエルフの少年が、地面に着地する。腕の傷に、唇を寄せた。

「……な……! ……っの、調子に乗りやがっ」

 少し離れた位置にいた黒髪の男が、上から振りかぶってきたのと同時に、ザルツは剣を、左下から右上へ素早く振り上げる。鞘におさめられた刃が男の顎に命中し、男は仰向けに倒れた。地面に頭を打ったらしく、完全にのびている。
 それを視界の端から追い出すと、今度は、やはり離れた位置にいる女性に目を向けた。気づいた黒髪の女性は、腰元から短剣を三本、取り出す。走りながら見ると、どうやら投げるための短剣のようだった。
 その予想は当たり、女性が腕を勢い良く降る。飛んできた短剣を、ぎりぎりのタイミングでしゃがんで避けると、

「……! きゃっ……!?」

 その場から高く跳躍し、両腕を頭の後ろまで振り上げた。女性の後頭部を斬るように殴る。
 膝を折り曲げ、左手をついてザルツが着地したのと、女性が地面にうつぶせに倒れたのが、ほぼ同時だった。

 途端、静かになるその場。
 ザルツが立ち上がり、地面に倒れた三人の人間を、溜息をつきながら見渡した。

「……ふう……。」
「……ザルツ、すごい……!」

 遠くで見ていたセルシアが、言う。
 ザルツはそれに、少しあいまいに笑いながら答えると、エルフの少年に歩み寄った。

「……えーと……。……あの、大丈夫?」
「……あ、うん。……平気。ありがとう、助かった……」

 エルフの少年は、血を拭いながら立ち上がる。近くで見ると、エルフの少年の方が、ザルツより少しだけ背が高かった。その差は、特に見上げることを必要としないくらいの、本当に微妙な差。
 ザルツはそれをほんの少し気にすると、剣を背中に戻した。そして、こっちに歩み寄ってきたセルシアの方を向く。

「セルシアさま、大丈夫ですか?」
「うん、わたしは大丈夫。……でも、本当にすごいね、ザルツ!」
「うん。僕もびっくりした。……すごいねえ、剣士さん」

 驚きの入り混じった笑顔で、二人はザルツを見ている。
 大したことないよ、とザルツは言って、倒れている赤髪の青年へと歩み寄った。地面に突っ伏して倒れている、青年を見下ろす。

「……さて、と。……どうしよう、放っておくわけにも……」
「でも、こんな大きな人たち、連れて行けないよ? ザルツ」
「ええ……、……それは、わかってるんですけど……」

 困った時の彼の癖だ。砂色の髪に手を梳き入れ、はぁ、と溜息をつく。
 何とか担いでいけないものかと、赤髪の青年に、そっと右手を伸ばした。

 その、瞬間。

「……っ!」

 ザルツは、目を大きく見開いた。ざっ、と鋭い音がしたのと同時に、後ろに跳んで下がる。その光景を見ていたセルシアが、思わず、といった様子で一歩前に出たが、ザルツがそれを視線で制した。

「ザ、ザルツ……? ……!」
「……フン、……やるな、ガキのくせに」

 セルシアと、エルフの少年の視線の先。
 服が切り裂かれた右肩から血を流すザルツと、柄の先端に赤い宝石のついた短剣を持った、赤髪の青年がいた。
 獣のような目つきで、ザルツを、そして、エルフの少年を睨んでいる。

「……とんだ邪魔が入ったもんだぜ、ったく」
「……つっ……、……やめろよ、何で、こいつを捕まえるんだ!」

 右肩から血が流れているのも無視して、ザルツが鞘におさめたままの剣を構える。赤髪の青年は、短剣についた血を左手の指で拭いながら、言った。

「何でって、そいつの血を、売るために決まってるだろ」
「……そんなの、だめだ!
 狼は、生きるために生き物を殺すって、……人も同じだって、……言ってた……」
「……剣士、さん……」
「……そんなの……。……そんなの、ただの無意味な殺しじゃないか!!」

 剣の柄を両手で握り締め、できるだけ強い口調で言う。それでもやはり、手は震えていた。
 赤髪の青年はそれを見ながら、鼻で笑う。

「……誰が言ったか知らねーが……。……はっ、とんだお笑い種だな」

 その瞳は、黒かった。闇のような、暗い色。

「俺達は、ハンターだ。こいつを捕まえて、物好きなやつに売り払って、報酬を貰って、生計を立てる。
 俺達だって、生きるために殺すんだぜ?」
「……なっ……、」
「そいつは、悪いことじゃねーんじゃねーのかよ?」
「……っ……。……そ、……れは……」
「……ほら、反論できないだろ。だからガキだって言うんだ。
 ……まどろっこしい……、」

 赤髪の青年は、苛立ったように吐き捨てる。
 右手で短剣の柄を握り、左手を刃に添える。

 そして、真っ直ぐにザルツを睨んだ。

「いいことを教えてやろうか。これは、ただの宝石じゃねーんだぜ」

 そう言うと、赤髪の青年は、口の中で何かを呟き始めた。
 まわりが、ざあ、とざわめく。それは、妙に、静かな――。

 柄の赤い宝石の奥が、かすかに光り出すのを、ザルツもセルシアも、エルフの少年も、ずっと見ていた。
 まるでそこから動けないように。
 そして――……。
br> 「……っ……!!」

 ザルツが、一瞬、竦んだ。
 恐怖と驚きの入り混じった表情で。

「……しまった……!」
「え? ……なに、何なの、ザルツ。しまったって、何が……」
「……っ、いいから、ここから逃げましょう、セルシアさま!
 お前も、早く!」
「え!? で、でもっ……」
「いいから! ここにいちゃ……、……ここにいちゃ、だめだ!」

 ザルツはセルシアの腕をぐっと掴んで、強引に走り出した。
 困惑した表情で、エルフの少年がそれを追う。

 少し前に、ザルツは勉強した。
 剣を武器として用いない相手との、戦闘の仕方を。

「(……しまった……、まさか、あんなもの持ってるなんて……!)」

 題材となったのは、この国には珍しい者達。
 薄い色の金属に、綺麗な色の宝石をつけたものを武器とする。
 それは、斬れないし突き刺せないけど、使い方によっては、剣をも凌ぐ威力を持つもの。

 それは、呪文を唱え――精霊の力を借り、ものを生み出す、神秘の力。

「(……あいつが……、魔法使(まほうし)だったなんて……!!)」

 赤は、炎の色だ。
 人を、全てを焼き尽くす、炎の力は、


 逃げ出すには、充分すぎる理由だった。



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