水性花  

02−1 港町で

 人を知るには、まず観察だ――そう自分に言い聞かせることで、イルは何とか自分を保っていた。そうでなければ、この状況で、一分と持たず挫けてしまいそうだったから。

 王都……皆は街と呼んでいる……へ行くために、港町を目標にしていたイル=ファートは、三日程前、中継点として立ち寄った町で、奇妙な二人連れに会った。
 まるで少女のような青年と、その青年のことしか見えていない青年。
 その二人は、一般市民のイルに、とてつもない非日常をもたらした。殺してと頼まれてみたり、殺されそうになったり。

 実はそのショックから、未だ微妙に立ち直れていないのだが、立ち直らざるを得なかった。
 ……その後の雑談の結果、イルは何故か、その二人と共に街を目指すことになったのだ。

「……あ……。……すごい、……綺麗な花……」
「おお、お嬢ちゃん、いらっしゃい。隣の恋人に頼んでみたらどうだい? まけとくよ」
「リルーヴェル。買ってやろうか?」
「え……。……で、でも……。
 ……。
 ……あの、じゃあ、迷惑じゃ、ないなら……」

 そんな会話を耳の端に留めて、イルはほんの少し、その緑の瞳を上げた。
 正面には、異国花を扱う行商人の小さな店。店の前で、一輪の花を手にして、嬉しそうに笑っているリルーヴェル。その隣には、優しく微笑むファルファイの姿。曰く、いちいち説明するのが面倒だから、他人の勘違いを訂正したりはしないらしい。
 ……ああ、何でこんなことになってしまったのだろう。たまたまどちらも、目的地が街だったからって、何故一緒に旅なんてしなければならなくなったのだろう。
 嫌ではないが、嬉しくもない。
 そんなもどかしさを抱えながら、結局昨日辿り着いてしまったこの港町の真ん中で、イルは溜息をついた。

「……なあ、あの、二人とも」
「? ……あ、ごめんなさい、イル。退屈……だよね」

 そっと話しかければ、リルーヴェルは、本気で申し訳なさそうに謝るし。
 やっぱりファルファイは、自分を不機嫌そうに睨んでくるし。
 ファルファイの逆鱗に触れないように注意深く言葉を選びながら、イルはリルーヴェルに、表面だけは明るく装って、言った。

「退屈じゃないよ。……えっと、オレ、別のとこ、見てきていいか?
 船が出るのは、明日だし。ここ、いろんな店があるみたいだからさ、折角だし、いろいろ見ておこうと思って」

 つまるところ、この場から逃げ出したい。今すぐに。

 イルのそんな本心にはまったく気づいていない様子で、リルーヴェルは微笑む。

「うん、わかった。いってらっしゃい。ファルファイは、それで、良い?」
「ああ。お前が、いいなら」

 お前が、いいなら――つまり、リルーヴェル以外は、どうでもいいということだ。

「……それじゃあ、また後でな。夕方までには、宿屋に戻るよ」

 軽く手を上げて、イルは二人に背中を向ける。少し走ってから振り向くと、二人の姿はもう、人込みの向こうに消えていた。イルは大きく、息を吐く。

 物事には、どうしても逆らえない流れというものがある。
 運命とか宿命とか、そういった単語で表される流れだ。
 そんなものがあるのなら、今この状況は、確実に逆らえない流れだった。世界を揺るがす『水晶』と、それを守る青年。普通の中の普通を行くイルがこの二人に出会ったのも、一緒に、街までの短い旅をすることになったのも、きっと。イル自身は、運命的なものなんか、感じることができるはずはなかったのだが。

 逆らえない流れに逆らうようなことはしない。ならとにかくまずは、二人の人柄を知ってしまおうと思った。かなり前向きになった方である。できれば避けてしまいたかったものに、正面から立ち向かおうと言うのだから。…少々、情けない決心ではあるが。

「……って、言っても」

 イルは、一緒に旅をすることが決まってから、ずっと二人を見ていた。二人の外見、しぐさから、ものの言い方、好みまで。
 ファルファイの不機嫌な視線と戦いながら行った観察の結果、ぎりぎり理解できたと言えるのは、リルーヴェルの方だった。

 甘党。
 花や小さな生き物が好きで、背が低くて童顔で、何かが傷つくことに耐えられないらしいリルーヴェルは、確かに『水晶』という言葉のイメージには、ぴったりだった。色の無い、透き通った鉱物。純粋を感じさせるには、十分すぎる外見、その性質。硬質であるというイメージにだけは、どう考えても当てはまらなかったが。

 そして、そんなリルーヴェルを、兄のように見守る、ファルファイ。
 ファルファイのことは、それ以上はわからなかったが、イルの目には、まるで兄妹のように見えた。かよわい妹の斜め後ろに位置して、優しく包んでやっている、兄。…リルーヴェルは、男だが、でも妹。
 見た目だけならば恋人同士のように見えたが、よく見れば、やはりそれとは違っていた。恋人同士ならきっと、あんなふうに陶酔したりはしない。

 ただ、ファルファイ、という名前を、イルはずっと以前に聞いたような覚えがあった。

 何にせよ、不思議な二人だ。結局、わかったようで何もわからなかった。やりにくい。

「……はあ……。……まあ、いっか……」

 そのうちきっと、嫌でもわかるようになるだろう。もしかしたら、わかる前に街に着いてしまい、別れてしまうかもしれないが、その時はその時だ。
 頑張れオレ、と気合いを入れたところで、イルは辺りに視線を巡らせた。

 王都直通の港、しかも昼間、ということもあり、港町はかなりにぎやかだ。テントが並び、露店が並び、その間を、たくさんの種族が行き交っている。絶対数の違いにより、さすがに人族が多いが、人族以外の種族も、ここにはかなりたくさんいた。
 もっとも、イルはここ以外には、中継に利用した町、自分の住んでいた村、くらいしか集落を知らないので、もしかしたら、これが普通の比率なのかもしれないが。
 内心かなりうきうきしながら、イルは店と店の間を見て回る。中継に利用した町も店が多いと思ったが、ここはもっと多いのだ。花、武器、魚、果物、魔法道具。裏道に入ればもっと色々なものがあるという確信はあったが、何だかヤバそうなので、やめておいた。

「……ん……?」

 ふらふらと歩き回っていたイルはふと、一つの店の前で足を止めた。
 横長の机が並んだその上に、石に紐を付けただけの簡単な首飾りが並んでいる。木の棒で支えられた布の屋根の下に入ると、異国の衣装に身を包んだ女性が、にっこりと笑っていた。こういう店での礼節はわからず、とりあえず微笑み返してから、イルは商品に目を向けた。

 本当に簡単な首飾りだ。材料さえあれば、自分にも作れるのではないかと思えるほど。しかしその代わりに、石はとても綺麗だった。様々な色。透き通った鉱石。ついている値段からして、どうやら宝石ではないらしい。一体、何なのだろう。

「……」

 イルは、更に視線を巡らす。そして、机の一番端に置いてあった首飾りを手に取った。
 ベージュ色の、幅のある薄い皮紐の先に、色の無い、透明な石が付いていた。

「……水晶……?」

 そんな単語が、口からするりと出た。その、瞬間。

「違うわよ、お兄さん。それは、ガラス」
「! え、あ……?」

 店番の女性に急に指摘されて、イルは慌てた。なんだか急に、すごく申し訳ない気持ちになった。別に悪いことをしているわけではないのに慌てるのは、どうやら癖であるらしい。
 この間からこんなのばっかりだ、とこっそり落ち込みながら、イルは女性の方に目を向けた。首飾りは、イルの手の中に、ある。

「よく似ているから、間違える人が多いのよね。残念ながら、それはガラスよ。
 水晶だったら、一応いくつか置いてあるけど、もう少し高くなるわね」
「……ガラス……」

 聞かされた単語を、ぽつりと呟いてみる。知らないわけではない。色の無い、硬質な、水晶によく似た物質の名前だ。
 遥か遠い昔の世界では、何かの化合物だったらしいガラスは、希少価値の高い水晶とは違い、比較的良く採れる。更に、魔法を使って色染めをすることができるために、こういう簡単な装飾品には、よく使われているのだ。水晶は魔法を一切受け付けないため、どちらかと言えば、魔法防御の道具に使われることが多かった。

 鉱物というよりは、材質であるという方が正しかったが、確かにガラスは水晶に似ている。外見だけならば、水晶とどこが違うのか、イルにはわからない。
 ただ、ガラスと聞いて、なんとなく、リルーヴェルを思い出してしまった。それはガラスが水晶に似ているから、だろうか。ガラスから水晶を連想して、そして…。

「それで、お兄さん」

 呼ばれて、イルは首を傾げる。店番の女性は、紅い唇で、艶やかに笑っていた。

「ずいぶん熱心に見ているけど、何か買ってくれるの? 好きな娘さんに、かしら」
「……。……えー……っと。……そうだな……」

 並んでいる首飾りに、目を向ける。頭に浮かぶのは、可愛い妹と、隣の家の娘の顔。
 しばらく視線を巡らせた後、手にしていた首飾りを、元の場所に戻した。そして。

「そっちの、青と、碧色のやつを。……妹、達……への、土産にするので」

 少しはにかんで笑うイルに、女性は驚いたような顔を、一瞬、見せる。
 だが、イルの言葉の奥にあるものを正しく受け取ると、今度は微笑んで、ありがとうね、と言った。紐を絡ませないように丁寧に、かつ手早く、二つの首飾りを別々に包んでゆく。

「それじゃあ、二つ合わせて、一三〇ディルね。少し安くしておくわ」

 にっこりと笑い、包んだ首飾りを差し出した女性の手に、イルは金額分ぴったりのお金を置いた。首飾りを受け取り、お礼を言ってから踵を返したイルの背中に、声が届く。

「ありがとう。ガラスは水晶と違って壊れやすいから、気をつけてね!」
「あ、はい。ありがとうございます、気をつけます」

 親切な言葉に感謝の意を返して、イルは人込みの中へ、とけて消える。
 ガラスでできた、二つの首飾りを、腕に抱いて。



「…………」

 そんなイルの背中を、見つめる者がいた。
 黒いローブをまとった、闇のように黒い髪と瞳を持つ、名高い賢者。
 賢者は、イルの背中をじっと見つめていた。そして。

「……何も知らない。言い訳にして、あなたに何ができるのです?」

 賢者は、その見た目に合った子供の声で、ぽつりと呟いた。
 そして、呟いた声も、賢者もまた、喧騒に、人込みに、とけて消える。


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