人を知るには、まず観察だ――そう自分に言い聞かせることで、イルは何とか自分を保っていた。そうでなければ、この状況で、一分と持たず挫けてしまいそうだったから。 王都……皆は街と呼んでいる……へ行くために、港町を目標にしていたイル=ファートは、三日程前、中継点として立ち寄った町で、奇妙な二人連れに会った。 まるで少女のような青年と、その青年のことしか見えていない青年。 その二人は、一般市民のイルに、とてつもない非日常をもたらした。殺してと頼まれてみたり、殺されそうになったり。 実はそのショックから、未だ微妙に立ち直れていないのだが、立ち直らざるを得なかった。 ……その後の雑談の結果、イルは何故か、その二人と共に街を目指すことになったのだ。 「……あ……。……すごい、……綺麗な花……」 「おお、お嬢ちゃん、いらっしゃい。隣の恋人に頼んでみたらどうだい? まけとくよ」 「リルーヴェル。買ってやろうか?」 「え……。……で、でも……。 ……。 ……あの、じゃあ、迷惑じゃ、ないなら……」 そんな会話を耳の端に留めて、イルはほんの少し、その緑の瞳を上げた。 正面には、異国花を扱う行商人の小さな店。店の前で、一輪の花を手にして、嬉しそうに笑っているリルーヴェル。その隣には、優しく微笑むファルファイの姿。曰く、いちいち説明するのが面倒だから、他人の勘違いを訂正したりはしないらしい。 ……ああ、何でこんなことになってしまったのだろう。たまたまどちらも、目的地が街だったからって、何故一緒に旅なんてしなければならなくなったのだろう。 嫌ではないが、嬉しくもない。 そんなもどかしさを抱えながら、結局昨日辿り着いてしまったこの港町の真ん中で、イルは溜息をついた。 「……なあ、あの、二人とも」 「? ……あ、ごめんなさい、イル。退屈……だよね」 そっと話しかければ、リルーヴェルは、本気で申し訳なさそうに謝るし。 やっぱりファルファイは、自分を不機嫌そうに睨んでくるし。 ファルファイの逆鱗に触れないように注意深く言葉を選びながら、イルはリルーヴェルに、表面だけは明るく装って、言った。 「退屈じゃないよ。……えっと、オレ、別のとこ、見てきていいか? 船が出るのは、明日だし。ここ、いろんな店があるみたいだからさ、折角だし、いろいろ見ておこうと思って」 つまるところ、この場から逃げ出したい。今すぐに。 イルのそんな本心にはまったく気づいていない様子で、リルーヴェルは微笑む。 「うん、わかった。いってらっしゃい。ファルファイは、それで、良い?」 「ああ。お前が、いいなら」 お前が、いいなら――つまり、リルーヴェル以外は、どうでもいいということだ。 「……それじゃあ、また後でな。夕方までには、宿屋に戻るよ」 軽く手を上げて、イルは二人に背中を向ける。少し走ってから振り向くと、二人の姿はもう、人込みの向こうに消えていた。イルは大きく、息を吐く。 物事には、どうしても逆らえない流れというものがある。 運命とか宿命とか、そういった単語で表される流れだ。 そんなものがあるのなら、今この状況は、確実に逆らえない流れだった。世界を揺るがす『水晶』と、それを守る青年。普通の中の普通を行くイルがこの二人に出会ったのも、一緒に、街までの短い旅をすることになったのも、きっと。イル自身は、運命的なものなんか、感じることができるはずはなかったのだが。 逆らえない流れに逆らうようなことはしない。ならとにかくまずは、二人の人柄を知ってしまおうと思った。かなり前向きになった方である。できれば避けてしまいたかったものに、正面から立ち向かおうと言うのだから。…少々、情けない決心ではあるが。 「……って、言っても」 イルは、一緒に旅をすることが決まってから、ずっと二人を見ていた。二人の外見、しぐさから、ものの言い方、好みまで。 ファルファイの不機嫌な視線と戦いながら行った観察の結果、ぎりぎり理解できたと言えるのは、リルーヴェルの方だった。 甘党。 花や小さな生き物が好きで、背が低くて童顔で、何かが傷つくことに耐えられないらしいリルーヴェルは、確かに『水晶』という言葉のイメージには、ぴったりだった。色の無い、透き通った鉱物。純粋を感じさせるには、十分すぎる外見、その性質。硬質であるというイメージにだけは、どう考えても当てはまらなかったが。 そして、そんなリルーヴェルを、兄のように見守る、ファルファイ。 ファルファイのことは、それ以上はわからなかったが、イルの目には、まるで兄妹のように見えた。かよわい妹の斜め後ろに位置して、優しく包んでやっている、兄。…リルーヴェルは、男だが、でも妹。 見た目だけならば恋人同士のように見えたが、よく見れば、やはりそれとは違っていた。恋人同士ならきっと、あんなふうに陶酔したりはしない。 ただ、ファルファイ、という名前を、イルはずっと以前に聞いたような覚えがあった。 何にせよ、不思議な二人だ。結局、わかったようで何もわからなかった。やりにくい。 「……はあ……。……まあ、いっか……」 そのうちきっと、嫌でもわかるようになるだろう。もしかしたら、わかる前に街に着いてしまい、別れてしまうかもしれないが、その時はその時だ。 頑張れオレ、と気合いを入れたところで、イルは辺りに視線を巡らせた。 王都直通の港、しかも昼間、ということもあり、港町はかなりにぎやかだ。テントが並び、露店が並び、その間を、たくさんの種族が行き交っている。絶対数の違いにより、さすがに人族が多いが、人族以外の種族も、ここにはかなりたくさんいた。 もっとも、イルはここ以外には、中継に利用した町、自分の住んでいた村、くらいしか集落を知らないので、もしかしたら、これが普通の比率なのかもしれないが。 内心かなりうきうきしながら、イルは店と店の間を見て回る。中継に利用した町も店が多いと思ったが、ここはもっと多いのだ。花、武器、魚、果物、魔法道具。裏道に入ればもっと色々なものがあるという確信はあったが、何だかヤバそうなので、やめておいた。 「……ん……?」 ふらふらと歩き回っていたイルはふと、一つの店の前で足を止めた。 横長の机が並んだその上に、石に紐を付けただけの簡単な首飾りが並んでいる。木の棒で支えられた布の屋根の下に入ると、異国の衣装に身を包んだ女性が、にっこりと笑っていた。こういう店での礼節はわからず、とりあえず微笑み返してから、イルは商品に目を向けた。 本当に簡単な首飾りだ。材料さえあれば、自分にも作れるのではないかと思えるほど。しかしその代わりに、石はとても綺麗だった。様々な色。透き通った鉱石。ついている値段からして、どうやら宝石ではないらしい。一体、何なのだろう。 「……」 イルは、更に視線を巡らす。そして、机の一番端に置いてあった首飾りを手に取った。 ベージュ色の、幅のある薄い皮紐の先に、色の無い、透明な石が付いていた。 「……水晶……?」 そんな単語が、口からするりと出た。その、瞬間。 「違うわよ、お兄さん。それは、ガラス」 「! え、あ……?」 店番の女性に急に指摘されて、イルは慌てた。なんだか急に、すごく申し訳ない気持ちになった。別に悪いことをしているわけではないのに慌てるのは、どうやら癖であるらしい。 この間からこんなのばっかりだ、とこっそり落ち込みながら、イルは女性の方に目を向けた。首飾りは、イルの手の中に、ある。 「よく似ているから、間違える人が多いのよね。残念ながら、それはガラスよ。 水晶だったら、一応いくつか置いてあるけど、もう少し高くなるわね」 「……ガラス……」 聞かされた単語を、ぽつりと呟いてみる。知らないわけではない。色の無い、硬質な、水晶によく似た物質の名前だ。 遥か遠い昔の世界では、何かの化合物だったらしいガラスは、希少価値の高い水晶とは違い、比較的良く採れる。更に、魔法を使って色染めをすることができるために、こういう簡単な装飾品には、よく使われているのだ。水晶は魔法を一切受け付けないため、どちらかと言えば、魔法防御の道具に使われることが多かった。 鉱物というよりは、材質であるという方が正しかったが、確かにガラスは水晶に似ている。外見だけならば、水晶とどこが違うのか、イルにはわからない。 ただ、ガラスと聞いて、なんとなく、リルーヴェルを思い出してしまった。それはガラスが水晶に似ているから、だろうか。ガラスから水晶を連想して、そして…。 「それで、お兄さん」 呼ばれて、イルは首を傾げる。店番の女性は、紅い唇で、艶やかに笑っていた。 「ずいぶん熱心に見ているけど、何か買ってくれるの? 好きな娘さんに、かしら」 「……。……えー……っと。……そうだな……」 並んでいる首飾りに、目を向ける。頭に浮かぶのは、可愛い妹と、隣の家の娘の顔。 しばらく視線を巡らせた後、手にしていた首飾りを、元の場所に戻した。そして。 「そっちの、青と、碧色のやつを。……妹、達……への、土産にするので」 少しはにかんで笑うイルに、女性は驚いたような顔を、一瞬、見せる。 だが、イルの言葉の奥にあるものを正しく受け取ると、今度は微笑んで、ありがとうね、と言った。紐を絡ませないように丁寧に、かつ手早く、二つの首飾りを別々に包んでゆく。 「それじゃあ、二つ合わせて、一三〇ディルね。少し安くしておくわ」 にっこりと笑い、包んだ首飾りを差し出した女性の手に、イルは金額分ぴったりのお金を置いた。首飾りを受け取り、お礼を言ってから踵を返したイルの背中に、声が届く。 「ありがとう。ガラスは水晶と違って壊れやすいから、気をつけてね!」 「あ、はい。ありがとうございます、気をつけます」 親切な言葉に感謝の意を返して、イルは人込みの中へ、とけて消える。 ガラスでできた、二つの首飾りを、腕に抱いて。 「…………」 そんなイルの背中を、見つめる者がいた。 黒いローブをまとった、闇のように黒い髪と瞳を持つ、名高い賢者。 賢者は、イルの背中をじっと見つめていた。そして。 「……何も知らない。言い訳にして、あなたに何ができるのです?」 賢者は、その見た目に合った子供の声で、ぽつりと呟いた。 そして、呟いた声も、賢者もまた、喧騒に、人込みに、とけて消える。 |