水性花  

02−2 真昼の月

「そこの人」
「は?」

 あてもなく店の間をふらふらしていたイルは、背後からの声で立ち止まった。
 耳によく通る、高い少女の声。少女と言っても、彼の妹のように幼くはなく、女性と少女の間、といったような年代の声に聞こえたが。おそらくは、イルより一つ、二つ年下の。

「……」

 振り返ってみると、そこには、予想した年頃の少女がいた。
 気の強そうな、でも可愛い顔をしている。淡い桜色をした髪を、肩より短いところでばっさりと切っていた。そして瞳は、濃い、灰色。
 イルはこの少女には、まったく見覚えが無かった。

「……オレ?」
「そう。そこのあなた。ちょっとお伺いしたいことがありますの、よろしい?」

 念のため聞いてみると、肯定の返事。しかも、何だか、お嬢様口調。何だろう、と思いつつも、一応身体をそちらに向ける。
 改めて見てみると、少女はぶかぶかの男物の服を着ていた。シャツの上にベスト、ハーフパンツ。見事なまでに男物だ。
 更に長い袖の下、両腕を覆うように、手甲が覗いていた。淡い銀色の金属とくすんだ紅色の石で飾られた手甲は、妙にごつくて、やはり男じみていて、少女の細い腕からは浮いて見えた。その見た目にも、お嬢様口調にも、あまり似合っていない。

「別に、いいけど……。何、ですか?」
「あなた、奇妙な二人組みに、覚えはありませんか?」
「……奇妙な二人組み?」

 ああ、まあ、ありますけど。とはイルは答えず、頭の中でぼんやりと、その二人……リルーヴェルとファルファイのことだ……を思い浮かべた。
 確かに覚えはあるが、世界は広いのだ。まさか、この広い世界で、そんな偶然はありえない。適当に見繕って尋ねた人物が、目的の人物、しかも二人組みを知っていた、なんて。

「夜明け色の髪の、少女のような青年に、その青年にぴったりくっついて離れない、朝焼け色の髪の剣士なのですが。
 目立つ二人なのです、ご存知ありません?」
「……」

 世界は広いが、世間は狭い。
 ――ああ、素晴らしい偶然だなあ、とイルは思った。

「……知ってます。つーか、一応一緒に旅してます……」

 こうなってしまうと、もう嘘はつけない。イルは素直に白状する。
 すると少女は、

「まあ! 本当ですの!? 信じられませんわ、あの二人が部外者と一緒にいるなんて!」
「オレも信じられません……」

 素直に驚きの声を上げた。あんまりと言えばあんまりな物言いだったが、イルはつい頷いてしまった。自分でも、そう思っているからだ。自分は何故一緒にいるのかと。
 少女は両手を頬に当てて、ほう、と溜息をついた。男物の服を着ていても、似合わない手甲をしていても、動作は確かに口調通りのお嬢様だ。育ちの良さ、気品を感じられる、おっとりとした動作。絵本でよく見る、お姫さまみたいだなとイルは思う。

「……で、その二人が、どうかした……んです……か?」
「……え? ああ、そうですわね。私はその二人組みに、用事がありますの」

 少女は一歩出て、イルを下から覗き込む。濃い灰色の瞳に、イルは、自分の顔が映っているのを見た。
 不測の事態についていけていない、間の抜けた顔をしていた。

「あなたと一緒にいれば、会えますわね? ……ご案内をしていただけます?」
「……」

 少女は、まるで王のような気高さで、はっきりと言った。

* * *

 自らをティティと名乗った少女に、イルは、夕方に待ち合わせをしている、と告げた。
 それでは夕方まで一緒にいましょう、と言うティティの言葉は予想通りで、これまでと比べてあまり動じることなく、イルは今、ティティと一緒に、港町を歩いていた。
 動じることなくといっても、あくまでもこれまでと比べて、ということであり、頭の中はいつも通り大混乱だったわけなのだが。

 イルはこっそりと、隣を歩く少女を覗き見る。
 ティティは興味深そうに、同時にとてもつまらなさそうに、立ち並ぶ露店を眺めては、行き交う人々の顔を見ていた。

 何故自分は、この少女の探していた二人……リルーヴェルとファルファイを知っていたのか。偶然にしては出来すぎている。そう、まるでこれでは、運命だ――逆らえない流れの名前。

「……」
「? ……何ですの? イル殿。私の顔に、何か?」
「……え。あ、いや、ごめっ、……いや、すみません、……何、でも」

 こっそり覗いていたつもりが、いつの間にか凝視になっていたらしい。首を傾げて不思議そうな顔をしているティティに慌てて謝ると、イルは視線を空に向けた。
 村を旅立った時と同じ、真っ赤な夕焼け空が、そろそろ時間だ、とイルに教えていた。

「……あの、えっと、それじゃ、そろそろ時間だし……、向かい、ますか?」
「え? ああ、もうそんな時間ですか……、そうですわね、ではお願い致します」

 くるり、と踵を返す二人。その足は、宿屋に向けられる。
 その言葉に、待ち続けたことに意味が無かったことに、気づくのはもうすぐだ。

「……ん……?」

 人込みを何気なく見渡して、イルはふと気づく。人の群れの中に、最近よく見る顔を見かけた。
 この真っ赤な夕焼け空の中で、夜明けと朝焼けが、そこに一緒にいる。
 夜明け色のリルーヴェルと――朝焼け色の、ファルファイ。

「……あ! おーい、リルー……」

 気づいた瞬間、イルは声を上げていた。二人を呼ぶために。

 だが、それよりも早く、後ろの少女が駆け出していた。
 ――とても馴れた動作で。

「……見つけましたわ……、」
「……え?」

 何が起こったのか、わからなかった。
 もう慣れたとまで言える、混乱。
 ただ、自分の横を、ティティと名乗った少女は駆けていった。
 真っ直ぐに、リルーヴェルとファルファイの方へ。それに気づいた二人が、顔を上げた。そして――……


「……覚悟なさい! 『水晶』!」


 少女の声が響いたと同時に――少女の拳を、ファルファイの剣が、受け止めた。


 ギィン! という金属音が、夕焼けの港町を支配する。
 町のざわめきが、散らばった。


「……!」
「……流石ですわね。まったく鈍っていないなんて」

 手甲を装備した右腕が、ファルファイの剣と拮抗している。ギリギリと、耳をつく嫌な音をたてながら。
 少女は声も、口元も、瞳も、けっして笑ってはいない。その台詞を受けている、ファルファイも。そして、ファルファイの後ろの、リルーヴェルも。

「だからこそ、やりがいがあるというものですけれど」
「っ……、ファルファイ!」
「リルーヴェル! 逃げろ!」

 リルーヴェルの声に、ファルファイは迷いの一つも無く言った。一瞬リルーヴェルが身体を引きつらせるが、ファルファイはそれは気に留めず、剣を引く。それと同時に少女も拳を引き、そして跳んで一歩下がった。
 間合いができる頃には、港町のその場所にだけ人がおらず、周囲には人垣ができていた。その中心には、リルーヴェル、ファルファイに、少女――そして、何が何だかわからず呆然としている、イルの姿があった。

「俺はいい。俺を、信じられるだろう? だから、逃げろ、リルーヴェル!」
「……っ……、……ごめん、なさい……!」

 ふわり、と身体を返して、リルーヴェルは走り出す。それを見て、イルが同じ方向に走り出した。そんな光景を視界の端に捉えた後、ファルファイは少女を睨んだ。そして言う。

「……何のつもりだ」
「奪われたものを、取り返しにきただけです」

 きっぱりという少女。それを聞いて、ファルファイは軽く舌打ちした。

「……久しぶりだな―― ……ティルハティーナ」
「ええ。お久しぶりです。ファルファイ。
 ……私の、婚約者様」


←02−1 02−3→

L-NOVEL