「見つけましたわ!」 「!」 高いところから飛んできた声に、三人は立ち止まった。咄嗟に剣を抜き、リルーヴェルを庇うように立つファルファイは、上の方に視線を飛ばす。 いた。建物の上。おそらくは、テントの屋根や建物の屋上を渡って、三人を――『水晶』を探していたのだろう。この人込みではきっと、そちらの方が見つけやすい。リルーヴェルは、よく目立つから。 ふわり、と少女は跳び、軽やかに地面に着地する。間合いを取りながら、ファルファイは少女をにらみつけた。 その後ろに、リルーヴェル。更にその後ろに、イルがいる。 「……ティルハティーナ……」 「お久しぶりです、リルーヴェル」 おずおずと名前を呼んだリルーヴェルに、少女ははっきりと返事をする。気の強そうな声。気が強い、というよりは、高貴な。 少女は正真正銘の王族らしいので、違わない。 「ティティ……、どうして……」 「あら、力ある者ならば、『水晶』を手に入れたいと思うのは当然なのでは? それとも私が『水晶』を求めるのは、おかしいと申しますの?」 「……」 「……リルーヴェル。止(よ)せ。何を言っても、変わらない」 押し黙るリルーヴェルを後ろに守りながら、ファルファイは二人の会話を止めた。剣を向けたまま、少女を睨んだまま、苛立ちを隠そうともせずに、はっきりと告げる。 そんなファルファイに目を向け、今度は少女が、苛立ちそのままに言った。 「変わらないのは貴方の方です。相変わらずですのね、お二人とも」 「お前に、何がわかる」 「昔から変わってないのですから、わかって当然です。 貴方はずっと、昔から今までそしてこれからもずっと、リルーヴェルだけが大切なのですわね。――ファルファイ!」 ぐ、と拳を握り締め、少女は跳び込む。一瞬で間合いを詰め、ファルファイの側頭部に拳を飛ばした。その攻撃は読まれ、ファルファイはそれを剣で弾く。 その時、切っ先が少女の頬をかすめ、一筋の傷を描いた。 少女の舌打ちと同時に、じわり、と滲む、赤い色。 その瞬間、イルが、びくっ、と肩を竦めた。 三人の中に入っていけないイルの目から見れば、それはまったく別世界の出来事だったのだ。 人に、平気な顔をして、血を流させるなんて。 「……っ、」 「なっ……! ファルファイ、お前……っ!」 「黙れ!」 思わず声を上げたイルを、ファルファイは一瞬で制した。 その声の低さ、含まれた殺気に、イルだけでなく、少女、リルーヴェルまでもが、身体を強張らせる。 ファルファイは剣の柄を握る手を翻した。少女の血のついた切先を、今度はイルの首に当てて。 「……っ……」 「大体お前は、リルーヴェルのことを知っていたのに、どうしてこいつを連れてきたんだ」 「……え……、」 身体が震えている。首に当てられた剣の感触が、とても冷たい。凍った思考でイルは、ファルファイの言葉の意味を考えた。 ただ、イルは、少女がリルーヴェルとファルファイを探していたから、そしてイルが、その二人を知っていたから、連れてきただけだ。 少女が何故、二人を探していたのか、尋ねることもせずに。 「わかってるんだろ。リルーヴェルが、世界中から狙われていることを」 「……」 「なのにどうして、得体の知れない人間を連れてきた? ……俺は、」 冷たい剣の先。 自分の吐息が震えているのが、自分でわかる。 頭の奥が、逃げろと言っているのがわかったが、指の先さえ少しだって動かせない、まるで自分の身体が自分のものでは無いような、そんな感じがした。 息苦しい、胸の奥がざわついて、眩暈がする。 「リルーヴェルを傷つけるものには、容赦はしないことにしているんだ」 「……何……で……、」 イルは、震える声で、ぽつりと言った。 少しも理解できない、目の前のこの青年が。 「……ファルファイ、は……英雄……だった、ん、だろ? ……ベルガの、国の……」 「……?」 「……リルー、ヴェルに……聞いた、よ……。 ……ずっと、戦ったって……一人で……」 「……。 ……ああ。……もしかして、あの時の話か? 七年前の、あの時の」 少しも変わらないファルファイの声は、怪訝そうにそう言った後、くっ、と喉の奥で笑う。 血赤色の瞳が残忍に笑って、イルにきっぱりと、言った。 「馬鹿みたいだな。戦争で、人を虐殺すれば、英雄か。 確かその功績がどうとかで、ティティと婚約、っていう話になったんだったな。そうだろ? ティティ」 黙り込むティティ。ファルファイは、続ける。 昔、一つの国を救った、英雄は。 「リルーヴェルは、その身体に、途方も無い魔力を持っている。『水晶』の魔力を。 エバール国の連中が、それを狙った。 俺は、リルーヴェルを狙ってきた奴らを、殺しただけだ。救う気なんか、無い」 「――」 それは――確かにイルが知っているだけの、正しいファルファイの声だった。 「俺が大切なのは、リルーヴェルだけだ。それ以外はどうでもいい」 「……っ……、」 「お前も例外じゃない。……覚悟しろ」 「――っ……!」 ぐ、と力が込められる。水晶製の、透きとおった剣。 陽の光をとおしてきらきら光るそれは、いつだって真っ赤に、命の色に染まるのだ。 それは今も、そしてもう、イルの知らないずっと前から、英雄の、たった一人の大切な、世界と同じ存在のためだけに。 兄妹のような、だけどけっして穏やかではない。 恋人同士のような、だけどまったく違う。 考えれば考える程、不思議な二人。 ファルファイと、リルーヴェル。 『水晶』と英雄。 殺される。 殺されるということが、どんなことなのか、イルにはまったくわからないけど。 ただ、故郷の村に帰れない、というのは、嫌だと思った。 反射的に、瞳を閉じた。 その、瞬間。 「ファルファイ、やめて!」 「……っ!」 リルーヴェルが、低い背を懸命に伸ばして、ファルファイの腕にしがみついた。息を詰め、思わず剣を引いたファルファイの肩に、リルーヴェルは額を寄せる。 剣の感触が無くなって、イルは無意識に閉じていた瞳を恐る恐る開いた。首は痛いが、血は出ていない。 この二人と出会った時と同じ。朝焼け色の青年に殺されかけて、夜明け色の青年が助けてくれた。あの時の、よく通る綺麗な声の、『水晶』の、まったく同じ助けだった。 剣を下ろし、ファルファイは、肩に縋っているリルーヴェルを見下ろす。 その様子を、イルと、頬から血をひとすじ流したままの少女は見ている。 「ファルファイ。やめて。……やめて」 「リルーヴェル……」 「やめて。殺さないで。……イルは、悪くない。 ……ティティも、悪くない。悪くないから……」 それだけじゃなくて。と、静かに呟いて。 「……僕は、ファルファイが、誰かを殺すのは、嫌だよ」 「…………」 静かな声。 綺麗な声が耳に馴染む、そしてそれは、ファルファイの纏う空気を一瞬で変えてしまった。 今までの不穏を消し、今のファルファイの瞳には、どこか悲しみに似た、切なさしかない。イルと少女に向けられた殺気なんか、少しも残っていなかった。 「ティティ」 「……何ですの?」 リルーヴェルはくるりと振り返ると、今度は少女の名を呼んだ。 ほんの少したじろぎ、しかしそれをけっして表に見せないように気高く取り繕いながら、少女は答える。 「……僕には、殺して手に入れるような価値なんか、無いよ」 「……」 「ティティは、そうは思ってはいないかもしれないけれど」 リルーヴェルは、魔導士だ。世界の物理法則を無視した力を操るものの総称。 魔導士の言葉には、呪文じゃなくても魔力が宿るのかと、ほんの少し思った。 「僕は、ティティと、ずっと話がしたかった。あなたとわかりあえないか、って」 「……」 「あなたの望みを知ってるよ。だけど僕は、ファルファイの傍にいなくちゃいけない」 わがままで、ごめんねと――リルーヴェルは少し悲しく笑って。 「ごめんなさい」 「……別に……。……貴方が、謝ることではありませんわ……」 イルとファルファイには、まったくわからない、重要な部分が抜けた二人だけの会話。 だけどその会話は、魔法のように、少女の中の何かを完全に失わせてしまったらしく。 「……本気で貴方を、殺そうと思っていたわけではありませんもの」 ティティは、拳をぐ、と握って、うつむき、静かにそう言った。 それから。 ティティはそれ以上、リルーヴェルの命を奪おうとはせず、またファルファイと戦う気も起こそうとはしなかった。 いつの間にか日は暮れ、今日はもう宿屋に戻ろう、と言ったリルーヴェルの言葉に、反対する者は誰もいなくて。滞った空気の中、港町のどこかへ消えていったティティを視線で見送った後、ファルファイとリルーヴェルは、並んで宿屋に歩いていった。 その背中を、イルは見ている。戻ってくる、夜もにぎやかな港町のざわめき。淡く光る灯り。潮の香りのする風と、月の見えない空と、小さな星たち。 だけど、ファルファイは本気だった。 リルーヴェルの身を案じるのを忘れ、ティティを連れてきたイルを、確かに殺そうとした。 殺す、ということがイルには理解できないけれど、どれだけ怖かったか、まだ覚えている。 人が、人を、殺すこと。 七年前の戦争の中、ベルガ国を救った英雄は、国を救う気は無かった。たった一人を守っていただけだ。 昔も今も、そして未来も、きっと変わらない、ファルファイのたった一つの信念に基づいて。 ――その時は、十三歳だった少年は。 ずっと奇妙だと思っていた。 けっして、親友同士、とは言えない二人。 イルの目から見れば、兄妹のように見えるけどそうではなく、恋人同士のように見えてもそうじゃない。お互いがお互いに依存しているような、だけどけっして依存では無い、二人。 二人は、この世界に二人だけしかいないような、そんなかごの中にいるように見える。 イルは、自分の首に手を伸ばす。傷の無い、血の出ていない、いつも通りの感触。 だけど、喉の奥が、指先が、冷たく震えていることが、はっきり自覚できていた。 |